概略
今回は、御菓子司「聚洸」のご主人、高家裕典さんに「和菓子」と題してお話しを伺い、さらに和菓子作り体験もさせていただきました。
高家さんは、1975年に京都に生まれ、朱雀高校をご卒業後、名古屋にある「芳光」で7年間のご修行を終え、京都に戻り実家である『塩芳軒』で3年間のご修行後、2005年には今のお店「聚洸」を開業されました。
お茶の先生方の口コミで評判も広がっています。
職人を囲む会のお茶席での御菓子も長い間、こちらの聚洸さんだそうです。
毎回美味しくいただいています。
(参考 「聚洸」の公式サイトはありませんでした)
講義前
この日の京都は少し暖かくなったかと思いましたが、講義が始まる頃にちらほらと雪が降っていました。
今回は久々に30分くらい前に会場に着くことができ、ゆっくりできました。
それにしてもすごい人の量です。
普段の倍くらいに感じました。
そして今までと違う机の配置。
前回、長町志穂さんの講義で、会場の配置を違う向きにしたほうがいいというアドバイスがあり、それをさっそく実行されたようです。
(ちなみに私も家に帰ってから家の照明をいくつか変更しました)
おひなさんの時のお菓子のお話
今回のお話はずばり、和菓子。
もうすぐ3月なので、お雛様にちなんだ和菓子「あこや」と「引千切」のお話がありました。
最初に、なぜ「あこや」と「引千切」がお雛様にちなんでいるのかについて説明してくださいました。
3月3日は桃の節句で、お雛さまを飾って祝う行事です。
古くは平安時代より草餅で祝い、中世には桃花酒を飲む、などして宮中で節宴を行っていました。
そして、中世末には民間にも広まり、白酒で祝うようになりました。
江戸幕府が式日の一つに定めると、さらにひな祭りが盛んになり、お酒や餅もひな壇にお供えするようになりました。
江戸時代後期には、「いただき」の名で新粉生地のくぼみに小豆餡をのせたものが、ひな祭りのお祝いの配り物にされていました。
この「いただき」から「あこや」と「引千切」というお菓子につながっていったそうです。
「あこや」は、真珠貝の一つで、阿古屋貝に見立てた和菓子。
「引千切」は、雛菓子用にすばやく、たくさん作れるように、「あこや」の生地の先端をひきちぎった和菓子。
ちなみに、今は「引千切」はわざとひきちぎったように作っていて、自分で体験して感じたのですが、引千切の方が一手間かかっている感じでした。
これらの和菓子は、店によって、台となる生地や色、餡が異なり、餡の上に金団をのせる等の違いがあるそうです。
「こなし」と「練切」の違い
「こなし」と「練切(ねりきり)」は、よくいわれるのは
こなし=関西、練切=関東、で中身は同じ、というもの。
でも、材料から作り方からまったく違うそうです。
具体的に言うと、
「こなし」
・こし餡に小麦粉などを混ぜて蒸したもの。もみこなして作ることからこの名がついたとされています。
・「こなし」の製法は京都を中心に広まり、お茶席のお菓子によく使われます。
・いんげん豆や白小豆を材料にした白餡を生地に用いて着色し、四季折々の風物を表すことが多い。
・重みのあるしっかりとした食感。
「練切」
・こし餡に求肥、寒梅粉などのつなぎを加えて練り上げて作る求肥練切や、薯蕷(じょうよ)の餡を主体にして練り上げて作る薯蕷練切などがある。
・「こなし」同様、白餡を生地に用い、四季折々の風物が作られ、お茶席に用いられる。
・「こなし」に比べると、少し柔らかい。
などの違いがあるそうです。
ゆえに、「こなし」の時は木型につかう、「練切」の時はへらなどをつかう、など使い分けができるそうです。
実際に作ってみる
今回は和菓子を作る作業もさせていただきました。
ピンクの方が「こなし」、よもぎの方が「練切」だそうです。
確かにさわり心地が違い、よもぎ練切の方が柔らかかったです。
練切を作る際は、薯蕷を入れると美味しいそうです。
モニターで先生の手を見ながら、あこやと引千切を作ってみました。
ちなみに引千切は三色のことが多いそうです。
作り終わったら、おいしそうで食べたくなりました。
そう思っていたら、温かいお茶が回ってきました。
自分で作った和菓子の味は格別で、おいしくいただきました。
質疑応答
作った後は質疑応答の時間になり、細かく色々なことを教えてくださいました。
修行時代の失敗談は?という質問には
餡炊きで、大量の餡を流してしまい作り直したこと。
羽二重餅の餅粉を蒸したものを下に落としてしまったこと。
などを教えてくださいました。
修行時代は苦労も多かったそうですが、基本的に和菓子作りが大好きだったため、そういう意味では苦はなかったそうです。
聚洸さんは生餡から作っているそうです。
生餡から店内で作る店は実はあまり多くはなく、それが美味しさにつながっているということでした。
無駄が出ないのか?という質問には、無駄が出ないようにするとのことでした。
基本的には数を考えて控えめに作るそうで、余ったら身内にあげるそうです。
店の名の由来は?との質問には、高家先生が初代になるため、晴明神社にいくつか候補をあげてもらったそうです。
その中から、最終的に高家先生が気に入った文字を選んだとのことでした。
特に「洸」の字は、石ではなくて水のたまが光るという意味にこれだ!と思ったとのこと。
和菓子を作って幸せと思うときは?との質問には、お客さんが「美味しい」というよりも「幸せ」とか「ほっとした」と言われる方が嬉しいとのことでした。
それから、作っている時、「あ、これ美味しいかも」と思えた時、とのことでした。
京菓子の特徴は?との質問には、抽象的、ということでした。例えば蝶々の型をぬいてのせることは本来しないが、最近はあるそうです。
それから、引き算のデザイン、省けるところは省く、ということでした。
最後に、自信のある技は?という質問には、「わらび餅」とのこと。
実際、後日食べましたが、確かにとても美味しかったです。
講義後
いつもならお茶席があるのですが、和菓子が重なってしまうため、今回はお休みとなりました。
その後、高家先生との話の流れから、聚洸さんの和菓子を予約することが出来、後日、お店に伺うことができました。
ちょうど京都でお世話になった先生のお参りに行く予定で、先方も大変喜んでくださり、本当に良かったです。
概略
今回は、御菓子司「聚洸」のご主人、高家裕典さんに「和菓子」と題してお話しを伺い、さらに和菓子作り体験もさせていただきました。
高家さんは、1975年に京都に生まれ、朱雀高校をご卒業後、名古屋にある「芳光」で7年間のご修行を終え、京都に戻り実家である『塩芳軒』で3年間のご修行後、2005年には今のお店「聚洸」を開業されました。
お茶の先生方の口コミで評判も広がっています。
職人を囲む会のお茶席での御菓子も長い間、こちらの聚洸さんだそうです。
毎回美味しくいただいています。
(参考 「聚洸」の公式サイトはありませんでした)
講義前
この日の京都は少し暖かくなったかと思いましたが、講義が始まる頃にちらほらと雪が降っていました。
今回は久々に30分くらい前に会場に着くことができ、ゆっくりできました。
それにしてもすごい人の量です。
普段の倍くらいに感じました。
そして今までと違う机の配置。
前回、長町志穂さんの講義で、会場の配置を違う向きにしたほうがいいというアドバイスがあり、それをさっそく実行されたようです。
(ちなみに私も家に帰ってから家の照明をいくつか変更しました)
おひなさんの時のお菓子のお話
今回のお話はずばり、和菓子。
もうすぐ3月なので、お雛様にちなんだ和菓子「あこや」と「引千切」のお話がありました。
最初に、なぜ「あこや」と「引千切」がお雛様にちなんでいるのかについて説明してくださいました。
3月3日は桃の節句で、お雛さまを飾って祝う行事です。
古くは平安時代より草餅で祝い、中世には桃花酒を飲む、などして宮中で節宴を行っていました。
そして、中世末には民間にも広まり、白酒で祝うようになりました。
江戸幕府が式日の一つに定めると、さらにひな祭りが盛んになり、お酒や餅もひな壇にお供えするようになりました。
江戸時代後期には、「いただき」の名で新粉生地のくぼみに小豆餡をのせたものが、ひな祭りのお祝いの配り物にされていました。
この「いただき」から「あこや」と「引千切」というお菓子につながっていったそうです。
「あこや」は、真珠貝の一つで、阿古屋貝に見立てた和菓子。
「引千切」は、雛菓子用にすばやく、たくさん作れるように、「あこや」の生地の先端をひきちぎった和菓子。
ちなみに、今は「引千切」はわざとひきちぎったように作っていて、自分で体験して感じたのですが、引千切の方が一手間かかっている感じでした。
これらの和菓子は、店によって、台となる生地や色、餡が異なり、餡の上に金団をのせる等の違いがあるそうです。
「こなし」と「練切」の違い
「こなし」と「練切(ねりきり)」は、よくいわれるのは
こなし=関西、練切=関東、で中身は同じ、というもの。
でも、材料から作り方からまったく違うそうです。
具体的に言うと、
「こなし」
・こし餡に小麦粉などを混ぜて蒸したもの。もみこなして作ることからこの名がついたとされています。
・「こなし」の製法は京都を中心に広まり、お茶席のお菓子によく使われます。
・いんげん豆や白小豆を材料にした白餡を生地に用いて着色し、四季折々の風物を表すことが多い。
・重みのあるしっかりとした食感。
「練切」
・こし餡に求肥、寒梅粉などのつなぎを加え、練り上げて作る求肥練切や、

