2011年1月23日(日)に行われました。
今回の講師は、一閑張「夢一人」の尾上瑞宝(おのえ ずいほう)さん。2011年1月23日(日)に行われました。
今回の講師は、一閑張「夢一人」の尾上瑞宝(おのえ ずいほう)さん。
1952年生まれで、幼少のころより先代の作る一閑張を見て育ち、1992年より修復や正統な一閑張の指導にあたっておられ、1999年に京都伝統工芸館、経済産業省より依頼を受け一閑張の見学、体験工房を京都西陣につくり、現在は京都を中心に関西圏で活動を続けていらっしゃいます。
(→ 詳しくは多分 公式ホームページ 「一閑張 アトリエ 夢一人」にて)
お話の内容については、 一閑張、飛来一閑、泉王子(せんおうし)家の歴史、先代とのエピソード等でした。
会に到着
今回は、前の日曜から一週間京都にいて、最終日の日曜日に家族3人で参加しました。
旦那と娘は3回目の参加、かな。
京都駅近くのホテルに泊まり、チェックアウト等の支度に手間取り、娘もグズリぎみだったので遅刻だーと思ったけれど、歩いて15分くらいで着けたのでなんとか間に合いました。
今回のお話
今回の講師は、飛来一閑 第十四代泉王子の尾上瑞宝さん。
女の方でした。
飛来一閑と書くと私などは「ひきいっかん」と読んでしまうのですが、この方のお話の中では「ひらいいっかん」と読みます。
なぜこのような読み方の違いになったかというと、生活道具を作る流派と茶道具を作る流派とに大きく分かれた際にそうなったようですね。
もともとの始祖は同じ飛来一閑。
徳川時代初期の寛永6年(1629年)に大陸から日本に渡来してきた明の学者で、古代中国に伝わる乾漆技法と和紙の良さを合わせた独自の技法を考え出した人です。
一閑張が用いられた日常道具は、望遠鏡、仏像、花入れ、文机、膳、椀などです。
茶道具のことしか知らなかったので、そういう分野もあったのか、と思いました。
流派がわかれたあと、生活道具をつくり続けた二代目飛来(ひらい)一閑は、霊元天皇より「泉王子」の名匠を受けて江戸に移り、一閑張を地方に広めていったようです。
ネットで調べてみたら、なんと、私の旦那の故郷、香川県の伝統工芸品としても字は違うけれど同じようなものが存在するんですね。(→こちら)
愛媛にもあるようですし、他にも知らないだけで一閑張の手法は各地に点在しているのかもしれません。
先生の幼い頃
2歳になる娘と参加したので、早くから飽きてしまい、旦那と廊下で交代で遊んでいたので、半分くらいしか講演を聞けなかったのが残念ですが、いくつか印象に残る面白いお話を伺うことができました。
そのひとつは、幼い頃の思い出のお話。
お父さんから暗記するほど教えられたという、家訓のようなものがあったそうです。
さすが、幼いころから覚えているだけあり、家訓も流れるようにすらすらお話になっていました。
是非書き残しておこうと思ったのですが、早すぎて書ききれず。
あとで調べればどこかに掲載されているだろうと甘くみていましたが、どこにもなかったので、もっと頑張って書き記しておけばよかったです。
懇親会&お茶会
講義が終わった後は、お弁当付きの懇親会。
毎回とても美味しいです。
その後、お呈茶。
子供がいたのでどうしようかと思ったのですが、みなさんあたたかく迎えてくださいました。
さすが京都!
子供もちょっと緊張しながらもちょこんと座って、茶室空間でお菓子とお茶をいただくことができました。
1952年生まれで、幼少のころより先代の作る一閑張を見て育ち、1992年より修復や正統な一閑張の指導にあたっておられ、1999年に京都伝統工芸館、経済産業省より依頼を受け一閑張の見学、体験工房を京都西陣につくり、現在は京都を中心に関西圏で活動を続けていらっしゃいます。
(→ 詳しくは多分 公式ホームページ 「一閑張 アトリエ 夢一人」にて)
お話の内容については、 一閑張、飛来一閑、泉王子(せんおうし)家の歴史、先代とのエピソード等でした。
会に到着
今回は、前の日曜から一週間京都にいて、最終日の日曜日に家族3人で参加しました。
旦那と娘は3回目の参加、かな。
京都駅近くのホテルに泊まり、チェックアウト等の支度に手間取り、娘もグズリぎみだったので遅刻だーと思ったけれど、歩いて15分くらいで着けたのでなんとか間に合いました。
今回のお話
今回の講師は、飛来一閑 第十四代泉王子の尾上瑞宝さん。
女の方でした。
飛来一閑と書くと私などは「ひきいっかん」と読んでしまうのですが、この方のお話の中では「ひらいいっかん」と読みます。
なぜこのような読み方の違いになったかというと、生活道具を作る流派と茶道具を作る流派とに大きく分かれた際にそうなったようですね。
もともとの始祖は同じ飛来一閑。
徳川時代初期の寛永6年(1629年)に大陸から日本に渡来してきた明の学者で、古代中国に伝わる乾漆技法と和紙の良さを合わせた独自の技法を考え出した人です。
一閑張が用いられた日常道具は、望遠鏡、仏像、花入れ、文机、膳、椀などです。
茶道具のことしか知らなかったので、そういう分野もあったのか、と思いました。
流派がわかれたあと、生活道具をつくり続けた二代目飛来(ひらい)一閑は、霊元天皇より「泉王子」の名匠を受けて江戸に移り、一閑張を地方に広めていったようです。
ネットで調べてみたら、なんと、私の旦那の故郷、香川県の伝統工芸品としても字は違うけれど同じようなものが存在するんですね。(→こちら)
愛媛にもあるようですし、他にも知らないだけで一閑張の手法は各地に点在しているのかもしれません。
先生の幼い頃
2歳になる娘と参加したので、早くから飽きてしまい、旦那と廊下で交代で遊んでいたので、半分くらいしか講演を聞けなかったのが残念ですが、いくつか印象に残る面白いお話を伺うことができました。
そのひとつは、幼い頃の思い出のお話。
お父さんから暗記するほど教えられたという、家訓のようなものがあったそうです。
さすが、幼いころから覚えているだけあり、家訓も流れるようにすらすらお話になっていました。
是非書き残しておこうと思ったのですが、早すぎて書ききれず。
あとで調べればどこかに掲載されているだろうと甘くみていましたが、どこにもなかったので、もっと頑張って書き記しておけばよかったです。
懇親会&お茶会
講義が終わった後は、お弁当付きの懇親会。
毎回とても美味しいです。
その後、お呈茶。
子供がいたのでどうしようかと思ったのですが、みなさんあたたかく迎えてくださいました。
さすが京都!
子供もちょっと緊張しながらもちょこんと座って、茶室空間でお菓子とお茶をいただくことができました。
